公的抑圧を感じながら、、、

Written under being aware of social pressure !

サトラレる私。

今日も、作業所でサトラレる感覚がずっとあった。

 

今は一人でこうしてブログを書いているので、その時の臨場感で書いてないが、

 

昨日、最後に好きになった人をFacebookで見てしまったので、

 

今日は作業所で「アイス食べる?」と連呼している人がいて、

 

「「愛してる?」って聞こえる」とか何かやり取りしながら笑っていた。

 

その人には「人の気持ちをすぐに読み取れるんだね、すごい能力ですね。」

 

と、心の中で褒めといた。

 

このサトラレ感が、半端なくきつい。

 

今日、訪問看護のスタッフに相談したら、よくよく話を聞いてくれて、

 

「田中君はよく自己分析できてるね」って言って貰えて、

 

私は、辻褄は合ってるんだなと安心はした。

 

ただただ、精神的にきつい。

 

ではまた、、、

 

See you again...

私はマイナスなのかな?

私はゼロから始めようと決めていたけれど、

 

私は理性が崩壊し、いつの頃からか?

 

私の周りはいつも不気味な笑いが包む事が

 

多いというか、そうなってしまうような所に

 

自分が相当ねじ曲がってる結果、そうなった?

 

のかと思ってる。

 

一人の時は誰も周りに笑う人はおらず、

 

両親がいても笑われない。

 

で、落ち着ける。でも、一旦外に出ると、

 

不気味な笑い声が聞こえることが多くて、

 

そういう人を逆に見下げてきた自分がいた

 

けれど、もしかしたらそれは、自分が一人の

 

時にかなり自分を変な型にはめていて、それで

 

外では笑われるのか?と、自身でどういう

 

バランスを取るようにフローになるように、

 

気をつければいいのか?が、今は気になる。

 

という意味で、自分はゼロじゃなくマイナス

 

から、始めないといけないのか?という、

 

状況。自意識も抑制がきつい思いもあり、

 

明日、またそれ以降、作業所でやっていけても

 

人とぶつかりそうで不安が出てる。

 

バランスが悪いのは認めています。

 

笑われるのも、それを公にするなら苦しくない

 

でも、タロットなどをしても、自分を抑えろ!

 

「自分の望む通りばかりに行くもんじゃない」

 

と言われ、今の時空力プログラムと矛盾し、

 

何だかやるせない。果たしてどのような生活

 

スタイルを確立すべきか?と今、考えている、

 

でも、視界狭いアイデアなしの男が考えても、

 

限界ばかり。理性を完全に破綻させた精神科

 

を恨むばかり。でも、今更そんなこといっても

 

どうしようもない。置かれているところで頑張ると決めた。

 

ただ、道化師としての自分を職場で見せることには私は大丈夫なのだが、その後の処理などに関して難しい局面を迎えるのであろう。

 

私は感情を抑え、周りの笑われに耐え、

 

自分の境界線を作っていく。多分ここしか道は

 

ないと覚悟せねばと思っている。

 

作業所には可愛い魅力的な人もいるのだが、

 

今日は、前好きだった人の、冷静な顔を見てしまった。今、あの人は何を考え、私が見ることのできるところに出てきたのは、意図を感じずにはいられなかった。

 

でも、現時点での私は、自尊感情も低く、他人もまだ軽視している状態だと心理テストで出た。

 

こんなろくでもない男に何を懸けても損ばかりだといわざるを得ない。外れくじだ。

 

旦那さんと仲良く、末永く幸せに満ちた生活を送ることを私は望む。私は一貫して、好きな人には、ふさわしい人と幸せになってほしい。

 

今の自分じゃ果たせない事なのだ。

 

人は私を過小評価しているという人も思う人もかなり少ない人は思うかもしれないけれど、私は私自身を贈り物として人の中に入って、私なりの良さを発揮すべきだと時空力プログラムで気づかされた。

 

その前提は今まで何もかも中途半端だった過去があったからだ、自分自身にコミットメントできていないという理屈らしい、私にはまだ分かっていないが、兎に角、自分自身を贈り物として与えられた環境に放り込まれて、そこで自分の人生訓からアドバイスをするマイ・インターンデニーロのように振る舞うか?と言う感覚である。

 

お金だけはギリギリ危ないところまで来ていたのですが、これまでどうにかやれたのですが、もうピンチなので泣き言を言ってる余裕はない。

 

やはり、置かれた状況でしゃんと胸を張って生きなければとSMAPの「世界に一つだけの花」に習わねばと、今日の最後にする。

 

お休みなさい。

 

See you again...

 

P.S.恋愛はまだ様子を見たい。あの人がどう動くのか?私からのアプローチは完全にやめてくれと言われたからだ。お休みなさい。

今度はゼロから始めます。

今日、今度行きたいA型作業所の見学に行ってきました。

 

私は今までも、B型作業所を2ヶ所をそれぞれ2年くらいと、就労移行支援事業所で、2年修行したけれど、その後の就職ですぐに上司とぶつかり辞めてしまいました。

 

まだ、就労上での上下関係が判っていませんでした。

 

それで、今日見学させていただいた作業所で、今度はゼロからやり直そうと思っています。

 

ゼロからというのは、以前受けたセミナーにて、精神疾患患者は止めておいた方が良い、という所を私が強行突破してやってしまい、頭の中がぶっ飛んでしまい、頭の中がグダグダになってしまい、今でも、精神的にきついけれども、就労移行支援事業所で習ったことも忘れてしまったので、

 

それでゼロから、、、という訳です。

 

置かれた環境で頑張らせて貰おうと私は今まで、人や機会をのし上がる様な所がありましたが、今は全くそんな気持ちはありません。

 

働かせていただけるということに感謝しようという気持ちで今はいっぱいです。

 

明日、面接があります。頑張ります。

 

みんなと調和しながらやっていこうと思います。

 

それでは、また、、、

 

See you again...

去勢されてない私

「これでいい」と心から思える生き方。野口嘉則著より

P.185〜188

子どもから大人になる過程で、人は幼児的な万能感を手放し、現実が思いどおりにならないものであることを受け入れていきます。このプロセスを精神分析では「去勢」と呼びます。

一般的に「去勢される」というと、「気力や反抗心を奪われる」といった意味でも使われるので、これと混同しないでいただきたいのですが、精神分析で「去勢される」というときは、「万能感であることをあきらめる」ことを指します。

【重要なことも書かれてますが中略】

また、ジャン・ジャック・ルソーが著書『エミール』の中で、「子どもを不幸にするいちばん確実な方法はなにか、(中略)それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ」と述べていますが、これは去勢という視点から考えるとよくわかります。

 

感想、正に今までも今の私がそうです。両親とも私を理解してあげようとするのは、この後の河合隼雄さんの本からの抜粋でも明らかなのですが、自立を最も妨げているのが、両親なのです。贅沢させてもらいながらこれを言うのははばかれるかもしれませんが、精神疾患を抱えながらも、これはよく分かっているつもりです。いざ、子どもが出来たとしてもどういう父親であればよいか、反面教師で分かっているつもりです。両親には悪いけど、ここは完全に当てはまってます。だからといって、今ポンと現実社会に出されてもやっていける自信がないです。私はとても残念な位置に居ます。

 

でも、父は幼少の頃から苦労したから子どもに不自由をさせたくないという気持ちが強いのだと思う。それは、有難いと思わねばならぬ。

 

生長の家の本と父さんが教えてくれた事。

今日は、昼過ぎに実家に帰る電車に乗り、駅から歩いて実家まで帰った。

 

早速、生長の家の本「生命の實相 生活編」を少し読み進めたのと、

損害保険会社の支店長まで登り詰めた父に仕事上で肝要な事を聴いた。

 

生命の實相からは、

 

普通ならサラリーのための仕事をしながら、同時進行で宗教にも注力すべきということ。つまり、片方への全注力はすべきではないということが書かれてあった。

朝の1、2時間を活かせ。と言うことが第1章で力強く説明されていた。この時間は無意識から意識が現れてくる時なので、有効に使うべしと、少し抜粋します。

 

「自分を生かすということは自分の生命が歓ぶことです。自分の生命が生き甲斐を感じることです。自分の生命が伸びることです。どうしたら自分の生命が喜びを感ずることができるかと言えば、他を喜ばしてあげることです。他が自分のことを喜んでくれるとき、はじめて自分の生命が本当の喜びを感ずるのです。それは自分の生命が隣人にまで拡張したのです。自分の生命が伸びたから喜べるのです。これが生き甲斐というものです。人間はそういうふうに造られているのです。自分の生活が伸びているか生長しているかどうかを知るには、周囲の人が自分の生活を喜んでくれているかどうかを見ればよいのです。周囲の人は自分の生活の鏡です。誰にも喜ばれないような人の生活は、それがどんなに自分の欲望をみたしている生活であっても、それは本当に伸びている生活ではありません。それは自己という小さなものに引っかかっているから伸びていないのです。人間は自分だけの欲望を充しても喜べますが、その喜びは狭く小さく窮屈で、朗らかなどこにも気兼ねのないような喜びとは言えません。」

 

「お金は捨てても時間は捨てるな。」

 

「西洋の諺では、『天才とは努力の別名である』といっているではないか。天才ある者も時間を生かさずしてその天才を伸ばさなければ凡才になってしまう。たとい生まれつき凡才と言えども人間は神の子であるから、時間を生かすことによって自分の努力を大成さすことを怠らなければ、ついに彼が天才の域に達しうることは確実であるのだ。」

 

「諸君よ、今日、時間をたくみに生かそうと決心せよ。そして、まず’朝の最も効果多き時間をもって自己の能力の生長をはかれ。」

 

「自己を決して軽んずるな。自分の能力を生まれつき少ないと信ずるな。諸君はすべて神の子であるから、誰でも天才という高貴な金鉱がその底に埋めてあるのだ。いわゆる『天才』とは、割合浅いところにその金鉱が埋めてあって、発掘しやすいというにすぎぬのだ。一見『凡才』はその金鉱がやや深いところに埋めてあるがために、掘り出すのに割合努力を要するというにすぎない。しかし諸君は、深いところに埋めてある宝ほどかえってとうときものであることを知らねばならぬ。小なる宝は表面にかくしてある。表面に宝の容易に見出されない者は幸いなるかな。掘れ、掘れ、自己の能力の宝を掘り出せ。時間をたくみに利用して掘り出せ。諸君はやがていわゆる天才よりも偉大なる能力の宝をわがものとする日が来るであろう。」

 

「人間の行為の高さはただ知識の分量や「能率」ばかりではかることはできないのである。黄金よりもとうとき自分の時間ではあれど、それをしも愛のためにしばらく譲って友達との雑談のために捧げるのである。それは、みずから浪費を浪費と知らずして時間を濫費する愚かさではないのである。金銭にせよ、時間にせよ、浪費はつつしむべきだが、愛のための捧げものとするときまた別の意味において、その価値が光ってくるのである。」

 

「われわれはこういうふうに人々の愛のために捧げる時間を残しておかなければならぬ。この時間は自分の「愛」を生長さす時間であると知らねばならぬ。朝の時間を利用しないで自分の能力や知識を生長させたいと思うものは、いきおい、人と人とが接触して愛を現すべき時間を、自分の能力や知識の生長のために利用せねばならぬことになるのである。こうするときその人は能力や知識だけをかき集める一種の「欲ばり」となってしまって、人々との接触に愛をあらわしうるところの円満な人格となることはできないのである。」

 

う〜〜ん、深い。

 

父から職業人になるために必要なことを学ばせてもらったのは、

「仕事が出来るのか?」

「人間的な側面で良いのか?」

の2つに尽きるそうだ。

あと、私にとって必要なことを付け加えて、

「相手の判断の仕方によって、提案の仕方を変える。」

「話すべきではないことは腹に据える。」

の2つ。

 

思ったことを直ぐに口に出す私は、慎む態度を身につける必要がある。

 

今夜はこれにて、、、

 

See you again...

今日のことと、訪問看護のスタッフと話してみて、、、

今日は、ハローワーク離職票を持っていくというところから、朝始まった。

 

そして、失業手当も出ないことも分かった。

 

それで私は少し焦っていたのだと思う。何とか気持ちを切り替えるために、本を読んだり気を紛らわせていたのだが、全然心穏やかではない。

 

私は、前からなのだが、自分が真理だと思った言葉を思いついた時から、あらゆる法則が並列化してしまい、みんな同じ価値しかないと思っていたのだと思う。

 

それで、もっと階層的に物事は成り立っているということに気づけなくなってしまったこの頭。

 

それで散々、失敗を繰り返し、今は生活が困窮する事態になってしまい。どうしようもなくなっている。

 

そして、本日午後9時ごろ母に連絡を取ってみて、自分が何とか因果関係の因を見つけるために何かできることはないか?と相談したところ。

 

母が、「お寺とか神社に行って、修行をさせてもらったらどう?」などと言ってくれて、

 

ああ、そうか。現在の生活スタイルを一変する必要があるな。と、思え、母が付け加えで、

 

生長の家の本ならあるよ」と言っていたので、私も以前、生長の家には何度か会合に参加させて頂いたことがあり、何となく続かなくなってしまったので、その時はまだ、宗教に頼るということを私は考えていなかったことが大きかったのです。

 

でも、今は何か学ばないと私の場合はダメみたいで、生産性につなげることができなくて、、、それが今は悔しくて、、、

 

私は学ぶことしかできないのかも知れないと、若干諦めのモードも入りつつ、悲しみに暮れています。

 

母との電話の後すぐに、訪問看護のスタッフに電話したら、「それもいいかもね、長期的に見ていった方がいいと思う。1年2年という時間がかかってもいいと思う。」と仰って頂いたので、

 

私は、生長の家の教えを勉強しようと思います。私は何か宣言しないと気が済まないところがあり。これも、その一つです。

 

でも、やはり、他の同級生のように仕事をしたり、結婚して子供も大きくなっていっている中、私一人だけが未だに独身で、女性ともうまく付き合えない、、、という悲しい現状。嘆いてばかりでも始まらないのですが、どうもこうも、悲しくて、情けなくて、お先真っ暗という感じです。

 

バシャールの言うところも最近ではよく解らなくなっているし、今は専ら未◯人の言うことを信じています。

 

未◯人の話によると、幼少期に熱中していたことを夢中になってやってみるといいと思う。みたいなことを言っていたのですが、

 

自分が幼少期の頃は、ゲームばっかりしていて、勉強はできた方だけど、そこまで熱中していなかった。でも、今はゲームも飽きてしまって、どうしてもハマれないし、今は逆に勉強する方が何となく高みに登れる境地が感じられて、いい気持ちがするので、どうしてもそういう勉強をするようになっています。

 

とまあ、そういう夢中になることが、幼少期の頃にはあったので、学問的なものから少し離れて、宗教的な話で何かを掴もうと思っています。

 

という宥めとして、こうして書いてます。

 

生長の家のHPを見て、少し教えを見たら、自分の思っていた真理は、あくまで、

現象学的真理」に止めて置いた方が良いのかも知れないと、初心に戻りました。

 

と、

 

「その生長の家の本を読むために、今は実家に戻ってきても良いんじゃない?」

 

母も言ってくれていて、そして、訪問看護のスタッフも

 

「他の人に勧誘などをしない事は気をつけて、自分の範囲内であるならば良いのでは?」

 

と言ってくれているので、暫くまた実家に戻りそうな気配です。

 

人との交流は、また両親だけになりそうで、新しく人と話す機会は減りそうですが、

 

今はまだ耐え忍ぶ時期と捉え、精進しようかと存じます。

 

と言うことで、今週土曜の訪問看護のスタッフとの面談で、今後どうするかを途中親と連絡も入るかもしれませんが、そんなこんなで、やっていこうかと思っています。

 

でも、つくづく情けない。何も一人で成しえない。何も出来ない無力感。半端じゃないです。

 

今は早く、生長の家の本を読み漁りたいです。ベイマックスの中で登場する、テレポーテーションをどう物理的に落とし込むかというアイデアはあるのですが、それは、また先の話になりそうです。

 

誰かが発表するかもしれないし、どうでもいいです。9割9分ヤケです。

 

学問的なところから離れるというのも、いささか不安ですが、これもまた道。

 

期待しつつ、西洋科学から離れる怖さもありつつ。という今です。

 

行くしかない。前進あるのみ。

 

今回はこのような発表で締めくくります。

 

ではでは、、、

 

See you again...

私は、

私は、、、、

 

やはり、マスメディアに出ることを望んでいない。

 

「今がチャンスですよ」

 

というサインが出されているのはわかる。

 

ただ、私が散々痛めつけられてきた過去を清算できぬまま、何となく

 

しようがなく、オーディションを受けているような気もしてきて、、、

 

 

 

今もだが、テレビを見ていても実際に私の様子を”感じながら”だけではなく、

 

「実際に私のことを見ながら」そう盗聴、盗撮しながら話しているように、

 

感じてしまい、かつては相当嫌な目にあわされた過去もあって、、、

 

テレビに出たくて出たくて出た人は、

 

「お前は何様だ。」的な目線で言っているが、それをそのままテレビ関係に返したい。

 

俺は何のために監視、盗聴されなければならないのか?

 

気のせいか?

 

ここまで克明に私の様子を伺いながらの放送を見て、気のせいと思える方が、

 

現状を把握できていないとしか思えない。

 

私は三日後のオーディションを最後にしようと思う。

 

それで受からなかったら、テレビは質屋に入れて、自分はメディアはネットだけにする。

 

元々、憎んでいたテレビに「今がチャンスですよ」と乗せてやらされているだけ、、、

 

私は全力で向かう気もない。ただ、自己PRして、それだけにしたい。

 

「私の生き様」=「ある統合失調症患者の生き様」

 

として、見てもらうしかない。

 

 

 

私は元々、人の力になる人になりたかった。自分が主役になることなど求めていない。

 

自分なりの正論をここやFacebookには書き残している。それらは私の本音だ。

 

それは間違いない。それを主張するために子供のように噛みつくことしかできない。

 

大人の振る舞いなど私には到底無理。

 

私のことを知り尽くして包囲網を向けている嫌いな奴には牙も剥く。

 

私は勝つための訓練が欠けている。負けることが多かった。主張も曲げられて、、、

 

勝ちに行くためには、それこそ私のことを嫌いなやつらの動向を知り尽くさなければ、

 

ならないだろう。でも、そんなリスクを受けるだけ無駄のような気もする。

 

今まで、障害者として生きていて、私のことを陥れようとする者どもから勝利する。

 

その勝利の意味は何か?訳がわからない。

 

「ただ、私が陥れられないだけ」、それは意味がある。

 

しかし、メディアに出て、おおっぴらに出たら、もっと敵が増える。

 

そちらの方がリスクがあるように思える。

 

結婚もできないかもしれない。もうそれはしようがない。私が障害者ということは、

 

子供にも障害が出ることは、免れないような気もする。なら一層の事、結婚相手は、

 

幸せを見つけてもらわなければならない。私以外のもっといい男を見つけて、、、

 

人から注目されて何になる。

 

ただのバカになるだけにしか思えない。いいように扱われて、、、

 

マスメディアに監視されて、くそ人生を歩んできたから、そいつらに人生を託す?

 

くそが、、、、

 

 

あいつらに託すものではない。

 

好きなように生きたいのではない。

 

ただ、虚像に喝采を浴びたりするのに吐き気がするのだ。

 

ここではオーティション前の最後の告白になる。

 

その後はわからない。ただ、落とされたら、もうメディア関係には志願しない。

 

視界が狭いかもしれない。それはしようがない。そんなに器用ではない。

 

でも、自分の人生は自分が決めたい。

 

めんたいワイドの男性キャスター」は私のことが嫌いだ。

 

その傾向がはっきりと私はわかる。一層の事、落ちぶれてくれと願っているのが

 

垣間見得るからだ。色んな思いを抑えて、ただ、私が隙を見せるとバカたれという

 

ようなワイプがかかる。有吉さんもそうだった。しかし、あの人もテレビにこけに

 

されて上り詰めた人だから、私と同じような境遇かもしれない。そういう意味では、

 

テレビの嫌な面をよく知っているかもしれない(想像だが)。

 

私は自分の意見で暴走するから、歯止めがかからなくなるのが怖いし、

 

傷つけたくもない。

 

私に力が備わったら、恐ろしいことが起きる気がする。それも嫌な理由の一つだ。

 

自分は主張がきつすぎるので、人の自由を奪いそうで嫌なのだ。

 

今までの嫌だったものを一切合切、まだ捨てきれない。

 

 

 

そこまで私は強くない。