公的抑圧を感じながら、、、

Written under being aware of social pressure !

自尊心を持てるように♫

以前、サイコサイバネティクスというプログラムで勉強した内容で大事だと思うことを再び。

 

それは、人間として最も大事にしたものがいいものとして、

 

「自尊心を大事にしよう!」

 

ということが挙げられる。

 

どうしてそう言えるのか?

サイコサイバネティクスを再びやっている訳ではないので、ちゃんとした知見から導かれていないかも知れないが、思い出すと、、、

「セルフイメージ」という「自分の像」がとても大事だということは思い出せた。

人間はセルフイメージに従ってしまう性質があると、確か記憶しているが、自分が自分に対して抱くイメージ、それがセルフイメージなのだが、それに合うように普通は行動する。

だから、自尊心を大事にすることは良いことなのだ。と言って理解できるだろうか?

 

いや、私は劣等感を感じている方が良い。

 

と思っている人はいないであろうか?

自分自身に劣等感を感じ続けて、人の前で自然な姿でいることを恐れてしまっても良いですか?

 

自分自身をありのままで好きになれること。それが自尊心だと思います。

 

私はこのプログラムで自尊心だけは持っていられていると思います。

 

以前このプログラムから引用した文章を、もっと捕らえてもらえるように書きます。

1、自分を許すこと。

2、他人を許すこと。

3、自分の中に好い自分を見つけること。

4、その好い自分をもっと伸ばせるように努めること。

5、競争相手はいつも好い自分とだけにすること。人とは比べない。

 

私は上のように取り出して使えています。

悪い時があってもいいのです。そういう時は、今日は調子が悪いのだな。まあ、いいか。と深追いしないことです。

あなたが調子が悪い時は自然なのです。良い時もあるはずです。

上の5か条を常に持ち歩いてもらえたら、嬉しいです。

「自尊心というのは(私自身の経験勉強から)少しずつしか伸びてこない。」と思っていて欲しいです。

すぐに劣等感で押し潰されそうになります。最初はそういう時があってもいいので、根気強く、伸ばしてくださいね。

 

みんなが自尊心が持てたら、とても友好的な絆が結べるはずです。

人の美点を見て微笑ましくなれるよう、あなたの一助になれたら嬉しいです。

 

では♪

Facebookを再開しました。

Facebookのアカウントを再開させてもらいました。

勝手だと思われても、至極当然なので、友達削除されても、致し方ないと思ってます。

 

これからは、考えて書き込みますので、何卒よろしくお願い申し上げますm(_ _)m

 

再開宣言です。

 

では、、、

転載自由ですが、、、

過去のブログは私の病気の関係妄想で書かれてあるものもあるので、そこはその時の心情の吐露のため、お見苦しい部分もありますが、人格の統合上まだ脆弱さを晒してあります。

 

最後の入院で人格の統合はかなりなされましたが、まだ心の平安に固執したり、偏執的な偏りが見られるときも出てくるかもしれませんが、これは個人的な問題です。

 

私は心に思ったことを綴るのが得意なので、その時その時に思ったことを書残すタイプですので、情緒不安定な時もありますが、これからは人に対する優しさから生ずるポジティブさで生きたいと思っています。

 

私は大きな人物ではありません。草花のように見る人を癒すくらいしかできません。

 

生きて人に優しくあるのが私の使命です。

 

私はマスコミからプライバシーを超えて侵入されていると感じてしまう辛さがあり、そのためマスコミ不信と以前書きましたが、家の中で、ずっと定点盗撮盗聴器からどうにか自分を隠し、なんで家の中で人の目を気にしなければならないのかという辛さはありますが、その中で正気を保ち、マスコミの報道が自分の心像を描くので入り込み考えてしまうので描写を自分の形で切るところはあります。嫌な感じはある時もありますが、マスコミ不信と言いながら、その点ではマスコミを信じているので、マスコミという社会の一側面と折り合いをつけていく努力をこれからはしたいと思います。

  

何卒、よろしくお願い致します。

Facebookのアカウントを停止。

先ほど、私のFacebookのアカウントを停止しました。

これ以降、記事がアップされることがあるようでしたら、乗っ取りですので、お気を付け下さい。

今まで、ありがとうございました。

 

尚、こちらのはてなブログと、Twitterはまだ続ける予定ですので、そちらで、よろしくお願いいたします。

 

では、

意味はなし得ていないかもしれませんが、私の生きる「理由」

今回は、ちょっとシリアスに自分の生きている「理由」について、考えて、書いてみたいと思います。

 

私は昭和53年の8月に生を受け、大学中退、精神疾患を発症し、自分が考えることの出来る数学の根本問題に対し、自分の言葉で答えを出すことができたことは、とても幸運なことでした。

 

私は、その解けた時はまだ孤独でしたが、今は自分をヒーローにも皮肉にも例えてくれている周りの環境があります。

 

でも、私も一一般市民なので、変な行動を起こすこともできず(今まで一杯変な行動はしてきましたが、これも変な行動かも汗)、最後の入院前後に大きく自分の生きる理由がわかってきたような気がしています。

 

それはあの解を出した者として、「神」と同一の解を出した者として、その生を全うすることだと思っています。

 

私の生きる理由というのは、あの解に込められた「神」というものを、いかに守り抜くのか?私は、私の存在理由があそこにしかないから、関わっていますが、これから、多分、私の周りは私を含めて少し動くと思いますが、、、

 

私の中の「神性」は、イエスがどのように生きたのか?は、私は聖書に詳しくないですし、イエスの生き様から弟子たちが解釈したものだと私は思っているのですが、私には弟子を取れるだけの教えがありません。

 

いつも、気楽に考え、凶悪なルールを排したその他の多くのルールを貴び、そのルールの作る世界を大切にするという考え方しか持っていません。

 

大層な、理屈などは私は忘れてしまいました。でも、その理屈の中にもとても珠玉な生きる上でとても助けになるものがあり、それを忘れない人を大切にする生き方。

 

人や動植物、自然、文化、文明を愛する生き方。

 

私もすっかり都会人になってしまい、ゴミも出すし、経済的にやりくりしながらの生活ですが、

 

それでも、素直に生きたい。

 

あまり、強くはありませんが、これが私の生き方かな?

 

生きる理由は、世界を大切にしたい、思いたい。という原動力かな?

 

世界は色々な人たち、これを読まれているあなた方も、一人の人として、生まれてきた。家庭や学校、就職などしてこれまで立派にやってこられた。そこから、善意を持って、当たって欲しいという願いだけです。純粋すぎるかもしれませんが、私の究極の理想は、善意を持って何でもいいから当たって欲しいという願いだけです。

 

善意を踏みにじられることもあるかもしれないけれど、私はそれでもあなたを応援したい。私に善意を向けなくていい、誰かに向かって弱いものの立場に立って一緒にいてあげて欲しい。より平和に、より良い社会になっていくように。

 

人も動植物たちも同じ一つの命を持っています。命というものを蔑ろにしない生き方。命を尊び敬う生き方。命を大切にする生き方。これは食にしろ、いじめにしろそうです。

 

人としていい生き方は、「命を大切にする生き方」なのかな?と、今回は終わります。

 

他の人の生活を助けるような仕事をすることが求められます。私も仕事をしないと生活ができないからですね汗。きれい事だけではない仕事をし続けることが必須です。

 

See you again...

これから

昨日11/18、太宰府病院から退院を果たしました。

 

入院中に私の前に素敵な人が現れ、その人のことが好きになりました。

 

療養中に「明るい心を持つこと」が大事だと、宗教の「本」から学び、父の愛嬌に通ずるものを感じ、それを入院中前面に出したら、とても可愛がられたので、明るい心を持って太陽のようにはいつも光り続けることは出来ないけど、悪い考えに今後は騙されない事も大事ですが、クセが無いところが私の特徴の一つですが、余韻が明るい感じにしていくことをこれからの常にしたいと思いました。

 

好きな人を守って生きたいので、内側から強さが芽生えています。

 

一般企業の障害者枠で収入役になりたいです。

そして、勤続のために、焦らず丁寧に仕事ができるようになりたいです。

 

彼女と歩んで行きたいです。

 

ではでは、、、

入院します。

今日は、作業所に定時前に行って事情を話し、

 

昨日から決めていた臨時診察に行って、

 

入院を決めました。心が弁のような機能を

 

全く果たしておらず、きついことがガバガバと

 

入ってきます。私はエンターテイナーとして

 

笑われるのを常として生きているのであれば

 

笑われることに関して、「おいしい」と

 

思えるでしょうが、作業中に心を悟られて

 

それを笑われると言うのは、きつい。。。

 

取りあえず、入院が決まったことだけ、

 

報告します。内心、安心してます。

 

ではまた、、、