公的抑圧を感じながら、、、

Written under being aware of social pressure !

私自身の真理感への疑いから始まった、一連のとめどもない話。

私の信じ切っていた真理の言葉

 

「ルールがあるならば、世界ができる。」(A)

 

という言葉は、これを第一義としておいた場合の偽の命題。

 

「ルールがあるならば、世界ができない。」(B)

 

これを時間軸に沿って考えてみたとき、見えたのだが、

 

このルールが採用された対象の物体や人、何でもいい存在するもの。

 

それが、一瞬にして消える。これが、Bのルールの本質かと考えている。

 

このBのルールを本人として体験するならば、疑似体験だし、そんな極限状態

 

でもないので、正しくは書けないと思うが、

 

主観から考える自分を客体化した自分という立っている場から、消える。

 

命としての死ではなく、物体としての死なのか?と考える。

 

これはむごい。せめて遺骨だけでも残っていると家族としても、救われる。

 

論点がそれている、戻す。

 

命としての死とは何なのか?それは、宗教家が考えるところでもあるでしょうが、

 

私は特に熱心に宗教には属していない。どうしても、宗教の違いによる戦いが嫌だから

 

である。

 

でも、前ここのブログで書いた記事にテレポーテーションについて触れましたが、

 

それは、一番最初に書いた命題AとBが同時に起こること。

 

B→Aというところか?もっと厳密に書けないのがはがゆいが、

 

B→Aの偽の命題。B→B?もはやブラックホールか?暗黒物質とは違うのか?

 

暗黒物質も仮定の物質だったと思うが、未だに確認できない物質としてある。

 

でも、”ある”から、うーーん、なんだろう?

 

何を証明したかったのか?私の考えていた真理の言葉が偽かどうか?という点、

 

であったが、時間軸の一瞬B→Aの時が、テレポーテーションじゃないか?

 

という、論点に変わってしまった。

 

--------------------------------------------------------(ここが重要なライン)

(物質としての死の方が、命としての死より強い、と今は考えている)

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でも、書いていて少し脱線した路線。

 

「命としての死」と「物質としての死」の違い。私は後者がBだと考えるので、

 

これは物理的にはブラックホールに落ちていった物がBに当てはまるか?と思う。

 

23年後(21年後だった?)に2つのブラックホールがぶつかる可能性があるという、

 

現象が予測されたらしい。その時の現象を検証する為に、我々人類はもっと科学技術

 

を磨いて、その日まで科学者は頑張らなければならないと思った。

 

でも、「命としての死」とは何なのか?もう少し丁寧に考えたいと思ったが、がさつな

 

私の精神状態から、そんなに一瞬の、うーん、あらゆる病による死、命の期限としての死

 

難しい。どうしても、仏教的考え方を学ばないと仏教的解釈の「死」がわからない。

 

確かに実践学、実学としてのプラグマティズム的な面を始める前に丁寧に因果関係を理解

 

することがやはり大切だと私は考えます。

 

(それは、時と場合により実学の方を優先する事もしばしばですが、何故なら、仕事上全部の工程を上司や先輩に聞いていたら呆れられるだろうからだ。)

 

でも、因果関係に穴を開けたのも私の命題Aなのだ。

 

因果関係がわかる為には、その元となる理由が必要だと考えてしまうが、しかし、 Aで

 

偽とはなっていない命題「ルールがなくても世界ができる」(C)により、

 

ここがプラグマティズムの真髄なのか?と、ここでは、Cとしては、

 

「やってみなければ、世界は進まない」うーん、曲解してる?

「何もしなくても、世界が進む」こっちかな?現時点での暗黒物質の存在理由?

 

でも、後者の場合の世界というのは、大変不公平だと思う。

でも、時間が経ったら日常?のような安心感も思えてきた。

 

ちょっと、命題Cから離れて、何故Aが因果関係に穴を開けたのか?

 

それは、結果が出た場合、その根拠となる理由が確実に得られぬ場合があるかも知れない

 

からだ。

 

--------------------------------------------------------(ここが重要なライン)

 

(私がブッダならば輪廻転生を経て生まれ変わると言うに至ったラインかと個人的思い)

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何故、統合失調症は人種や宗教という人それぞれ違うのに約100人に1人、確実

 

に発症するのか?でも、そうだ!統合失調症の発症率は国、人種、宗教を超えて1%だ。

 

でも、こうやって統計に取り込まれると、それが因果の因になる。1%も今では通説

 

になっている。統合失調症の発症率は、、、

 

その人の生い立ちや親からの躾や教え、友人関係、先生からの教え。人それぞれ、

 

全くとまでは言わないが、全く同じという人はいないだろうのに、人間から見て完全な

 

客観視など出来るのか?まあ、客観と書けば、第3者から見た見た形だろうが、完全な

 

客観とは神しかできないと思っている。状況に心乱されず、事件の犯人を推理する。

 

私は人間の臓器を見ただけで吐き気がする。ここでは関係ないが

 

もう、脱線してしまい、戻ってこられないので、今回はこれにて、、、

 

ざっくり読み返して、大事だと思ったところは今回は線で私感を書かせてもらった。

 

ではでは、、、

 

See you later...