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公的抑圧を感じながら、、、

Written under being aware of social pressure !

テレポーテーションの考察、崩壊。

ここで、最初に感じたところから書き直す。即ち、自分の思った真理を前提とした、私感としての「テレポーテーションについての考察」

 

まず、私の感じた最初の真理の言葉

 

「ルールがあるならば、世界ができる。」〜(A)

 

Aを第一義的に置いた場合のとなる命題

 

「ルールがあるならば、世界ができない。」〜(B)

 

Aの場合のルールというのは、どんなものでもいい。

 

例えば、公理(ルール)があるから数学の世界ができる。

他には、サッカーのルールによって、サッカーという競技が成り立つ。

 

など、そのルールには色んなものがあるのだが、統合失調症になると、このルールが自由すぎてきつい思いをすることもある。あまりにも自由に嫌な方向へ考えてしまう時があるから、、、

 

でも例えで出したようなルール、数学の公理や、サッカーのルールなど、、、

こういった建設的なルールによって数学やサッカーなどもとても楽しいものになる。

 

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よし、始めよう。テレポーテーションについての考察。

 

まずはルールを空間3次元と時間1次元の4次元の時空にて考える。

 

その中で、まずはBから考える。これは、そのルールがあるならば、世界ができない。とある。私はここで考えるのが極端かもしれないが、ブラックホールがそのルールに当たると考えている。

 

ブラックホールがあるならば、世界ができない。」これは、その吸い込まれる物質にとってはそう感じるだろう。しかし、私たち人間は更に、このブラックホールの居場所を突き止められるのでそれによって、4次元の時空が曲がっているとアインシュタインの考えた一般相対性理論を思い出す。

上の後者によれば、ブラックホールによっては、それを背にする世界はまだ見えるので、ブラックホールのまだ部分としてのルールによってでしか、世界ができない。と言えそうだ。

 

でもやはり、ブラックホールの吸い込まれていく末路のルール一気に潰されてしまう状態、まあこれを私はBと呼べるか?と考えている。地獄だ。

 

私は知らないだけで、量子論的な観点からのテレポーテーションというのは、全く原理が異なるのかもしれないな?

 

私はてっきりB→ A(BならばA)というのが、唯一のテレポーテーションの方法か?と考えていたが、違うアプローチがあるのかもしれない、量子論的な観点の欠落がまだあると思えてきた。自分の知っている世界の中だけで考えるという悪い癖だ。

 

でも、今回は(B→A)というルールが相対論的テレポーテーションかな?と感じていた。

第一義的に偽となるルールBというのを、すかさず時間的な途切れなくAに持っていく(B→A)というルール、これは視覚的に見てもわかりやすいと思う。

 

誰かがパッと左から右へ一瞬にして映るというような光景。

 

一昔前まで言われていたブラックホールに入ってすぐにホワイトホールから出てくる。というような光景だ。現在はワームホールと呼ばれるものだ。ワームホールでも結構難しそうだ。今Wikiで見てきた。原理的に可能な状態も書かれていたが、これを再現するのも難しそうだった。

 

脱線するが、人間というのはすごいと、今感じた。

 

なにせ、Bによるルールによっての世界の終わり以外は見いだせるからだ、

 

と言うのは、この場合のBのルールというのは、ひっそりとしたものでなければならないからだ。即ち、やはり物質的形跡も残さない何者にも誰にも後から振り返られない死でしかないからだ。

 

その他の場合は、その者のなんでもいい残した記録、ことばや絵、そのような表現による者でなくとも、そのもののDNAによって、どんな生き物だったのか?骨の形でどのような生活をしていたのか?を読み出せるからだ。

 

私一人で考えるには、相対論的テレポーテーションは難しそうな気がしてきた、量子論的なテレポーテーションというのは、どういうものか?もっと勉強が必要だと感じた。にわか物理的考察では、一流の人に馬鹿にされてしょうがないな。

 

というところで、自らの考えではテレポーテーションの考察と実験はできないということが解った。

 

というところで、ジ・エンド。

 

See you later...