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公的抑圧を感じながら、、、

Written under being aware of social pressure !

私の『真理観』

第1章、精神疾患の薬漬けで、理性から悟性に落ちた時に気づけた貴重な言葉。

私の1999年から2001年までの間のとある5月の朝にふっと閃いた言葉。それが、私のそれまで問うてきた自分自身で問題を解決した言葉、どんな問題か?それは、

 

「数学を数学たらしめているものは何か?」

 

私はその答えが聞こえて、飛び起きて、その言葉を書き残した。

 

「ルールがあるならば、世界ができる」

 

この時のルールというのは、数学にとっての「定義」や「公理」というものであって、「定理」ではありませんでした。定理というのは、定義を置けば、すぐさま数学の世界の中で必ず成り立つ「法則」でした。

 

でも、当初の私のびっくりした様はここにとどまりませんでした。

 

何せ、どんなルールに対しても、それなりの世界ができると考えていたからです。

そう、「ルールがあるならば、世界ができる。」というルールに則って現象学的に、ありとあらゆるものが、世界に表出される。と考えたからです。

 

例えば、サッカーのルールがあれば、あれだけサポーターが熱狂するサッカーの試合というものが成り立つ訳で、それも狭い広いどちらにあなたは感じるかはお任せしますが、世界を作っていると感じたからです。

 

つまり、有効なルールがあればそれに伴う世界ができるということを現すことができた。と感じたからでした…

 

第2章、その気づきから10年以上も経って気付いた、致命的な点。

その最初の気づき、つまり

「ルールがあるならば、世界ができる」(A)

は万能だ!という慢心。

 

これが、私の大誤算でありました。

 

実は、Aという命題には偽りとなる領域があると気づいた時です。

それは、その時の友人から論理包含という見方から気付かされました。

つまり、どういうことか?というとAでは、真偽の二つに分かれるのですが、偽という正しくないという所が出てくる。ということに気づいたのです。その偽となる命題とは?

 

「ルールがあるならば、世界ができない」(B)

 

つまり何らかのルールがあるならば、世界ができない。壊れる。殺される。と、

私は感じ、私はこれを「死のルール」として扱うことにしました。何らかのルールが世界をできなくさせるのは、これは、「死」しか考えられないからです。

 

しかし、このBの命題も私の命題を第1義的に置かなければ、列記とした一つのルールとなり許してしまうことになるので、私はAの命題を第1義的に置いて考えることを肝に据えました。

 

第3章、現代の数理哲学から見て、私の言葉の精査。

つい、1、2ヶ月ほど前まで、私の真理の言葉の限界を論理包含という概念からまでしか考えきれていませんでした。Wikipediaで「数理哲学」という項目を一読して、私の真理の言葉をもっときちっとした表現で押さえないといけないという思いになり、すぐに考えを改めた真理観です。

 

「ルールがあるならば、世界ができる。」

(ルールは【意味】または、【力】に関するものを持つ)

【意味】は主に主観的世界に影響。【力】は主体の現実世界へ客体化される場合に拘束するものとして影響を受けたりする。

 

主観的世界の”意味”というのは、インプットもアウトプットも嚙みしめるのも表現方法により、世界のでき方が決まってくると思う。

 

客観的世界の”力”というのは、第1章で取り上げたサッカーのルールみたいなものや、法律、憲法といった、『法』によるものが強いように感じます。科学的”法則”には確率的に当たる当たらないということはあるにせよ、法というものが強いように感じます。

 

エピローグ

しかし、私のような統合失調症という病を抱えている方々には、幻聴や妄想といった症状が出てしまい、科学的法則を覆すような大それたことを考えて悩ましたりすることもあると思います。私も未だにマスコミとの関係妄想を考えがちなので、テレビはあまり見なくなってしまいました。その代わり、ここで書いているような創作活動に費やしたりすることによって、楽しんでいるというのもあります。表現は自由。でも、相手を不快にさせる様なことはできるだけしない様にとは心がけています。フランスの同時多発テロが起こった理由として考えられた、イスラム教への配慮のない表現は慎むべきと私も感じているからであります。でも、私も個人的に好き嫌いがあり、嫌いを強調して出してしまうこともあります。

 

私の好きな言葉は「和を以て尊しとなす」という聖徳太子が言った言葉。実は、孔子論語からの出典みたいですが、私はこの言葉が大好きです。博愛主義を謳っているようなこの言葉がとても大好きです。といった感想で締めたいと思います。

 

それでは、ご静聴ありがとうございました。