公的抑圧を感じながら、、、

Written under being aware of social pressure !

意味はなし得ていないかもしれませんが、私の生きる「理由」

今回は、ちょっとシリアスに自分の生きている「理由」について、考えて、書いてみたいと思います。

 

私は昭和53年の8月に生を受け、大学中退、精神疾患を発症し、自分が考えることの出来る数学の根本問題に対し、自分の言葉で答えを出すことができたことは、とても幸運なことでした。

 

私は、その解けた時はまだ孤独でしたが、今は自分をヒーローにも皮肉にも例えてくれている周りの環境があります。

 

でも、私も一一般市民なので、変な行動を起こすこともできず(今まで一杯変な行動はしてきましたが、これも変な行動かも汗)、最後の入院前後に大きく自分の生きる理由がわかってきたような気がしています。

 

それはあの解を出した者として、「神」と同一の解を出した者として、その生を全うすることだと思っています。

 

私の生きる理由というのは、あの解に込められた「神」というものを、いかに守り抜くのか?私は、私の存在理由があそこにしかないから、関わっていますが、これから、多分、私の周りは私を含めて少し動くと思いますが、、、

 

私の中の「神性」は、イエスがどのように生きたのか?は、私は聖書に詳しくないですし、イエスの生き様から弟子たちが解釈したものだと私は思っているのですが、私には弟子を取れるだけの教えがありません。

 

いつも、気楽に考え、凶悪なルールを排したその他の多くのルールを貴び、そのルールの作る世界を大切にするという考え方しか持っていません。

 

大層な、理屈などは私は忘れてしまいました。でも、その理屈の中にもとても珠玉な生きる上でとても助けになるものがあり、それを忘れない人を大切にする生き方。

 

人や動植物、自然、文化、文明を愛する生き方。

 

私もすっかり都会人になってしまい、ゴミも出すし、経済的にやりくりしながらの生活ですが、

 

それでも、素直に生きたい。

 

あまり、強くはありませんが、これが私の生き方かな?

 

生きる理由は、世界を大切にしたい、思いたい。という原動力かな?

 

世界は色々な人たち、これを読まれているあなた方も、一人の人として、生まれてきた。家庭や学校、就職などしてこれまで立派にやってこられた。そこから、善意を持って、当たって欲しいという願いだけです。純粋すぎるかもしれませんが、私の究極の理想は、善意を持って何でもいいから当たって欲しいという願いだけです。

 

善意を踏みにじられることもあるかもしれないけれど、私はそれでもあなたを応援したい。私に善意を向けなくていい、誰かに向かって弱いものの立場に立って一緒にいてあげて欲しい。より平和に、より良い社会になっていくように。

 

人も動植物たちも同じ一つの命を持っています。命というものを蔑ろにしない生き方。命を尊び敬う生き方。命を大切にする生き方。これは食にしろ、いじめにしろそうです。

 

人としていい生き方は、「命を大切にする生き方」なのかな?と、今回は終わります。

 

他の人の生活を助けるような仕事をすることが求められます。私も仕事をしないと生活ができないからですね汗。きれい事だけではない仕事をし続けることが必須です。

 

See you again...