公的抑圧を感じながら、、、

Written under being aware of social pressure !

今年の振り返り。

今年は酷かった。究極まで心が荒んだ一年であった。メディアから猛攻撃を食らい、私自身希死念慮もあった一年であった。

しかし、私が部屋で自殺しても、そのダイイングメッセージを消されて死だけ取り扱われるという状況になる(つまり何故自殺をしたのかということが表沙汰にならない)ことが嫌で自死の放棄をしたのである。

今年はエゴについても見解が得られた一年でもあった。それに気づくまでは性善説でどうにか取り繕っていたが、メディアの猛攻撃で自身を守る為にはエゴを守らなければならないことに気づく。エゴを悪とし性悪説の立場に立った瞬間でもあった。

日本人の多くは性善説に立っている、私はそれは問題とはしていないが、悪人が社会を牛耳っているという事実を暗黙の内に知らないといけないと思っている。善人はお金を作るのは下手だと思うが、悪人はたやすく作る。人を人と見ていないからだ。私は性悪説に立っているが悪人ではない。私はメディアに散々に叩かれ、忌み嫌われ、私に関係する人も叩かれたのも嫌だったし、それにより集団から離れただけだ。好きで孤立している訳ではない。

 

こうやって書いていると、メディアへの恨みしか浮かばないが、私を美化する動きも見えてきた一年でもあったのかもしれない。一方で攻撃しながら、もう一方で美化するという私とメディアの関係性が築き上げられた一年だったと思う。

金正恩という暴君が退位していく様を演じなくてはならないのだと思っている。

 

私が公から消えるまで、模索しながらやっていかねばならない。

寂しさはあるが、恋をするのも許されないのかも知れない。

何をしても叩かれるのだから、それも公の電波を使って、それは死にたくもなるとわかってもらいたかった。

しかし、幾ら言っても私は反逆者としての運命なので、無慈悲な報道で馬鹿にされるだけであろう。メディアからのプライバシー侵害と攻撃を食らった思い出をありありと思いだすので、憤怒の状態はすぐに作れる。それを嘲笑するかのような報道も散々。メディアは糞野郎の集まりだと思ったこともしばしば。

しかし、メディアの中でも余暇の部分を担当するところは人に喜びを運ぶので、それは評価に値する。慈悲の部分も携えてきたので、よくはなっていると思う。

 

報道は真実を語っているのではない、風を語っているのである。

社会の中で動いた事象の風を語っているのである。

真実は暴力として語られる。

怒りは炎として語られる。

涙は雨として語られる。

語彙は少ないが、上の3つはよく用いられる報道の仕方。

報道部には沢山の事象が集められ、それを限られた時間で報道せねばならない。

その為、暗喩を用いて社会の出来事を伝えているのである。また、風によって報道の位置が変わるのは私は如何なものかと思うが、それも上下関係があるのかも知れない。

 

今年の振り返りに戻る。

メディアが描きたいのが私や主要人物というのが私には見えるので、私はその立場を降りたい一心だった。影響力も欲しくないし、普通が一番だと思っている。

私が知ってしまった真理が理由で追われる身となってしまったと受け入れた一年でもあった。真理に気づいた人で力を持たぬものは叩かれるというのも嫌という程味わった。

 

振り返ると今年は散々だった。来年こそはとは思えないです。

 

恋する人とは日時と場所を指定して待ち合わせをしていますが、来なかったら片思いを終えようと思います。

 

2018年の抱負は、批判は生まれますが、自分と周囲の関係性を治癒しようと思います。私と関係する人が叩かれる様を見て、私が引いてしまうのを笑うのをこらえないといけないかも知れません。ああ、書いているだけで人と関係したくなくなる。でも、叩かれ始めて常にそうでした。メディアは叩くのが仕事なのかも知れませんが、誰彼構いませんから。暗喩で叩くのを私は常に見てきたし、それを避けるように一人になってきたのですから。

 

悲観論が先走っていますね。

でも私は不幸しか持っていない気がする。

今も涙でいっぱいです。

 

私の運命を受け入れたはずなのに、公には関わってはいけないのだという強いプレッシャーから私は在野で一生を終える。

 

陽の目を見ることはない。

 

有終の美を飾れるほどゆとりはない。

 

創造命題に気づいた者の破壊的末路である。

 

しかし、2018年は経済的自立へ向けての足がかりを始める年である。頭の中は常に限界を迎えているので、限界へ思考を向けるのではなく豊かさへ向けなければならなくなっている、そしてそれがつまらないとも思っている。しかし、経済的自立が果たされなければ愛する人も養えない、避けられない問題である。自分は常に世界の外に外そうとしてきたのを中に入れないといけないのかも知れない。誰かと関係する怖さを克服しなければならないと思っている。私はこれ以上何を自分のことを話さないといけないのだろう?嘘ばかり並べられて、さもそれが私だと言わんばかり。これを読まれてる方は私を人格破綻者だとお思いだろうが、私は真実のみで生きてきただけです。小細工が一つもないだけです。確かに経済的には行き詰まっています。今回の記事のような告白ではきつい人柄に見えますが、いつもそれを内側だけにとどめられます。人に接するときは優しさを徹底しています。取り繕っているのではありません、人を不快にさせたくないだけです。

 

まずは、時間とベクトルが同じ向きの計画性を身につけ、こなしていくことから離れないこと。だと思います。まずはそこから始めます。

 

では、今回はこれにて。