公的抑圧を感じながら、、、

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機構の不完全性

人間のつくるどのような機構もそれが完全になるということはない。

これはゲーデル不完全性定理からも言えると思う。

それは政治機構にも、どのように整備しても不完全なところができてしまうということの表れだと思う。

政治機構は人間が健全に生きる上での基礎で、公共の利益の保持監督者である。

政治機構の中でも不完全なところに大罪が潜んでいるものと思われる。そこを極悪人は突くのである。

政治機構の整備の上で、またその国家主体としての力の向上上のうえで、経済大国になることは主要課題。経済で他国を丸め込めるからである。

経済的弱体化が国難となってしまう。そのためには産業が発達するため、私的経済体の資本は頼りになる。私的経済体は無視できない、まあ誰も無視されないというのがもっと根幹の政治機構のあるべき形とは思うが…

産業のために自由競争が促進、切磋琢磨の上でよりよいものをつくれる基盤、この基盤の永遠向上が人間の可能性の形の一つでもある。

経済基盤の向上には「できないことができるようになる」というものが根源的なものである。これを解決していくことが人間を強くするのである。

人と比べるのではなく、自分のできないことができるようになることに焦点を当てて欲しいと思う。自分ができなかったことができるようになればそれだけ豊かな生活を送れる基礎がより強固になるのであるから。それが経験である。

人間という機構にも完全性はないと考える。不完全だからこそ向上を望めるのである。

私は不完全だが監視が厳しく不全を強いられているだけである。不全を強いられるのは人権侵害である。人間の不完全性はあれど全生を保証されることが人権である。人間に不全を強いに強いられてしまうと噛むことはあるが、それは相当にきついからである。人間に不全を強いられない社会を望む。それどころか、やる気を引き出し活力を国力向上に向ける方がよほど国のためになると思う。

人間は不完全だが、どんな人にも可能性があり、そこの折り合いの付け方と自身の促進が豊かな生活の礎になるものと考える。

人間は苦難の時が最も向上する。

苦難の時を考えると貧しい生活でも大丈夫になるし、どこに問題があるかというところに対する徹底した目を養うことができる。また同じような境遇の人に対する優しい目も養われる。同じ辛さを経験して欲しくないと思うからである。

苦難は自分から望むよりも与えられる方が辛い。辛さを経験すると人に対する軽蔑と慈愛がつくられる。辛さを与える人に対しては徹底した侮蔑と同じ境遇の人に対する共感である。

 

機構の不完全性を研究し、人間の不完全性を内包しながらも、健全な発達に向けた永遠の構築が人間の可能性だと考える。